神泉苑 [神社・仏閣探索]
神泉苑は平安京(大内裏)の南東隣りに位置し八町の規模を有する苑池であり禁苑とされていますケロ
苑内には、大池、泉、小川、小山、森林などの自然を取り込んだ大規模な庭園が造られています
敷地の北部には乾臨閣を主殿とし右閣、左閣、西釣台、東釣台、滝殿、後殿などを伴う宏壮な宮殿が営まれていたそうですケロ
平安時代初頭頃には、苑池での管弦の宴などに用いられた竜頭鷁首の舟などが着き貴族たちが南庭へと下り立ったものと想像されているんです
天長2年(824)淳和天皇の勅命により弘法大師空海は神泉苑の池畔にて祈られ北印度の無熱池の善女龍王を勧請(呼び寄せられ)されたんだそうですケロ
日本国中雨が降り人民が大いに喜んだそうです
これ以降神泉苑の池には善女龍王がすんでいると言われていますケロ
アヒルも住んでいますケロ
苑内には、大池、泉、小川、小山、森林などの自然を取り込んだ大規模な庭園が造られています
敷地の北部には乾臨閣を主殿とし右閣、左閣、西釣台、東釣台、滝殿、後殿などを伴う宏壮な宮殿が営まれていたそうですケロ
平安時代初頭頃には、苑池での管弦の宴などに用いられた竜頭鷁首の舟などが着き貴族たちが南庭へと下り立ったものと想像されているんです
天長2年(824)淳和天皇の勅命により弘法大師空海は神泉苑の池畔にて祈られ北印度の無熱池の善女龍王を勧請(呼び寄せられ)されたんだそうですケロ
日本国中雨が降り人民が大いに喜んだそうです
これ以降神泉苑の池には善女龍王がすんでいると言われていますケロ
アヒルも住んでいますケロ
貴船神社 [神社・仏閣探索]
北鎌倉 円覚寺 [神社・仏閣探索]
鶴岡八幡宮 [神社・仏閣探索]
ふらりと鎌倉に来ちゃいましたケロ
まずは鶴岡八幡宮にご挨拶を・・・
鶴岡八幡宮は、京都の石清水八幡宮を厚く信仰していた源頼義が前九年の役で奥州の安部氏を平定した後、康平6年(1063)8月、京の石清水八幡宮を鎌倉由比ガ浜郷に勧請し社殿を創建したそうですケロ
その後、治承4年(1180),源頼朝が鎌倉入りするや由比ガ浜の八幡宮(元八幡)を,この地小林郷に移したとのこと・・・
建久2年(1191)には武士の守護神の宗社に相応しく上下両宮の現在の姿に整えられましたケロ
鎌倉はこの頃は既に、京都と並んで政治文化の中心となっており頼朝は関東の総鎮守となって崇敬されていたようです。
以来、鶴岡八幡宮は常に鎌倉のシンボルであり、幕府の儀式や行事はすべてここを中心に行われた。また武門のシンボルとしても豊臣、徳川家から手厚い信仰を受けていたんですケロ
ん~神様はどこにいらっしゃるのかしら
ごめんください~
まずは鶴岡八幡宮にご挨拶を・・・
鶴岡八幡宮は、京都の石清水八幡宮を厚く信仰していた源頼義が前九年の役で奥州の安部氏を平定した後、康平6年(1063)8月、京の石清水八幡宮を鎌倉由比ガ浜郷に勧請し社殿を創建したそうですケロ
その後、治承4年(1180),源頼朝が鎌倉入りするや由比ガ浜の八幡宮(元八幡)を,この地小林郷に移したとのこと・・・
建久2年(1191)には武士の守護神の宗社に相応しく上下両宮の現在の姿に整えられましたケロ
鎌倉はこの頃は既に、京都と並んで政治文化の中心となっており頼朝は関東の総鎮守となって崇敬されていたようです。
以来、鶴岡八幡宮は常に鎌倉のシンボルであり、幕府の儀式や行事はすべてここを中心に行われた。また武門のシンボルとしても豊臣、徳川家から手厚い信仰を受けていたんですケロ
ん~神様はどこにいらっしゃるのかしら
ごめんください~
新宿花園神社 [神社・仏閣探索]
江ノ島神社 [神社・仏閣探索]
江島神社(えのしまじんじゃ)は、神奈川県藤沢市江の島にある神社である。
ご祭神
宗像三女神
島の西方の「奥津宮」に多紀理比賣命、
中央の「中津宮」に市寸島比賣命、
北方の「辺津宮」に田寸津比賣命をそれぞれ祀り、「江島大神」と総称する。
江戸時代までは弁財天を祀っており、江島弁天・江島明神と呼ばれ、日本三大弁天の一つに数えられる
(伝承ではなく実際の歴史からだと竹生島の宝厳寺と宮島の厳島神社、天河神社の3つが日本三大弁天といわれている。)
現在の祭神は明治の神仏分離の際に改められたものである。
辺津宮境内の奉安殿には八臂弁財天と妙音弁財天が安置されている。
湘南ですよ~
海です
けど島なので結構歩きます
平地じゃなくて階段を歩くのでいい運動に・・・
「エスカ」なるエスカレーターのようなもので上にあがることも出来ます
よいところです
りっぱな水神の龍が・・・
ぜひ奥宮まで・・
ご祭神
宗像三女神
島の西方の「奥津宮」に多紀理比賣命、
中央の「中津宮」に市寸島比賣命、
北方の「辺津宮」に田寸津比賣命をそれぞれ祀り、「江島大神」と総称する。
江戸時代までは弁財天を祀っており、江島弁天・江島明神と呼ばれ、日本三大弁天の一つに数えられる
(伝承ではなく実際の歴史からだと竹生島の宝厳寺と宮島の厳島神社、天河神社の3つが日本三大弁天といわれている。)
現在の祭神は明治の神仏分離の際に改められたものである。
辺津宮境内の奉安殿には八臂弁財天と妙音弁財天が安置されている。
湘南ですよ~
海です
けど島なので結構歩きます
平地じゃなくて階段を歩くのでいい運動に・・・
「エスカ」なるエスカレーターのようなもので上にあがることも出来ます
よいところです
りっぱな水神の龍が・・・
ぜひ奥宮まで・・
京都 『平野神社』 [神社・仏閣探索]
延暦13年(794年)、桓武天皇による平安京遷都にともない、平城京で祀られていた今木神・久度神・古開神を遷座・勧請したのに始まった神社ですケロ。
元々今木神は平城京の田村後宮に、久度神・古開神は大和国平群郡の式内・久度神社に祀られていたんだそうですケロ。比売神は承和年間より祀られるようになったんですケロ。
『文徳天皇実録』によれば、仁寿元年(851年)、今木神に従二位、久度神・古開神に従四位、比売神に正五位の神階が授けられ、その中で「平野神宮」と記述していますケロ。
その後も神階は昇って行き、貞観元年(859年)には今木神に最高位の正一位の神階が授けられているんですケロ。
延喜式神名帳には「山城国葛野郡 平野祭神四社」と記載され、名神大社に列していた(2005年まで鳥居の扁額には「平野大社」と銘記されていた)。また、祭神について「平野大神」「皇大御神」という称号も使用されていたそうです。
神紋は桜で、今も桜の名所として名高く平安時代の中ごろ花山天皇によって境内に数千本の桜が植えられたのが起源で、寛和元年(985年)4月10日に臨時勅祭が開かれ、平野桜祭りとして今に残っているんですケロ。
神聖な空気の漂うところですケロ。
葉桜も好きですケロロ
春日大社 摂社『水谷神社』 [神社・仏閣探索]
奈良県にある
春日大社の摂社
『水谷(みずや)神社』
祭神は素盞鳴命 大巳貴命 奇稲田姫命
古くは牛頭天王が祀られていました(悪疫鎮圧の医薬の神様です)
神社の前にあるのが「子授け石」というものがあり
清い布でこの石を拭き清めると子宝に恵まれる
と言われている
例祭である「鎮花祭」は
鎌倉時代の正応元年(1288年)に始まったと伝えられており
夏期に多い疫病の流行を鎮めるお祭りで
神楽や狂言が奉納されます
その水谷神社で
新型インフルエンザの沈静化を願って
「疫病退散祈願」が25日から続けられているそうです
神職の方が約10人が毎日午前9時半頃から
疾病よけの護符を供えた拝殿で
心身を祓 ( はら ) い清める中臣祓 ( なかとみのはらえ ) を3回読み上げ
神殿の周りを巡る「御百度参り」をしているそうです
中臣祓(大祓祝詞とも呼ばれている祝詞)は
1000回唱えて祈願が成就するとされる「千度祓 ( ばらい ) 」に達するまで行うのだとか…
有り難いですね
春日大社の摂社
『水谷(みずや)神社』
祭神は素盞鳴命 大巳貴命 奇稲田姫命
古くは牛頭天王が祀られていました(悪疫鎮圧の医薬の神様です)
神社の前にあるのが「子授け石」というものがあり
清い布でこの石を拭き清めると子宝に恵まれる
と言われている
例祭である「鎮花祭」は
鎌倉時代の正応元年(1288年)に始まったと伝えられており
夏期に多い疫病の流行を鎮めるお祭りで
神楽や狂言が奉納されます
その水谷神社で
新型インフルエンザの沈静化を願って
「疫病退散祈願」が25日から続けられているそうです
神職の方が約10人が毎日午前9時半頃から
疾病よけの護符を供えた拝殿で
心身を祓 ( はら ) い清める中臣祓 ( なかとみのはらえ ) を3回読み上げ
神殿の周りを巡る「御百度参り」をしているそうです
中臣祓(大祓祝詞とも呼ばれている祝詞)は
1000回唱えて祈願が成就するとされる「千度祓 ( ばらい ) 」に達するまで行うのだとか…
有り難いですね