宇佐神宮 [神社・仏閣探索]
宇佐神宮に来ましたケロ
主祭神は八幡三神と呼ばれ、祭られている神殿の順に応神天皇(一の御殿)、比売大神(ひめのおおかみ/二の御殿)、神功皇后(三の御殿)の三柱の神が上宮・下宮に祭られていますケロ(メインは上宮だが、上宮・下宮どちらも三柱全てを祀っています)
比売大神は宗像三神のこととされていますケロ
このほか、境内には仁徳天皇以下五柱の通称「若宮五神」を祭る若宮神社、応神天皇の子神を祭る春宮神社、大山積尊を祭る亀山神社(亀山は当宮が位置する山の名前)、境内の菱形池を守る水分(みくまり)神社、菅原道真を祭る天満神社、素戔嗚尊を祭る八坂神社、武内宿禰を祭る黒男神社、和気清麻呂を祭る護皇神社、初代大宮司・大神比義を祭る大神祖神社、かつて東征中の神武天皇をこの地でもてなしたとされる菟沙津彦・菟沙津姫を祭る宇佐祖神社などが末社として敷地内に存在しているんだそうですケロロ
敷地外にある外宮として、大許(おおもと)神社が近隣の御許山(おもとさん)の上にある。御許山は、比売大神が地上に下った時、最初に降り立った地とされているんですケロよ~
古くは弥勒寺という神宮寺(正確には石清水八幡宮に属する)があったが廃仏毀釈により取り壊され礎石のみが残っていて、かつて同寺があった場所の北側には、社務所に相当する「神宮庁」と神宝を収める宝物館が存在していますケロ
主祭神は八幡三神と呼ばれ、祭られている神殿の順に応神天皇(一の御殿)、比売大神(ひめのおおかみ/二の御殿)、神功皇后(三の御殿)の三柱の神が上宮・下宮に祭られていますケロ(メインは上宮だが、上宮・下宮どちらも三柱全てを祀っています)
比売大神は宗像三神のこととされていますケロ
このほか、境内には仁徳天皇以下五柱の通称「若宮五神」を祭る若宮神社、応神天皇の子神を祭る春宮神社、大山積尊を祭る亀山神社(亀山は当宮が位置する山の名前)、境内の菱形池を守る水分(みくまり)神社、菅原道真を祭る天満神社、素戔嗚尊を祭る八坂神社、武内宿禰を祭る黒男神社、和気清麻呂を祭る護皇神社、初代大宮司・大神比義を祭る大神祖神社、かつて東征中の神武天皇をこの地でもてなしたとされる菟沙津彦・菟沙津姫を祭る宇佐祖神社などが末社として敷地内に存在しているんだそうですケロロ
敷地外にある外宮として、大許(おおもと)神社が近隣の御許山(おもとさん)の上にある。御許山は、比売大神が地上に下った時、最初に降り立った地とされているんですケロよ~
古くは弥勒寺という神宮寺(正確には石清水八幡宮に属する)があったが廃仏毀釈により取り壊され礎石のみが残っていて、かつて同寺があった場所の北側には、社務所に相当する「神宮庁」と神宝を収める宝物館が存在していますケロ
富貴寺 [神社・仏閣探索]
出雲大社・神在祭 [神社・仏閣探索]
一般に旧暦10月を「神無月」といいますが、これは全国の村々里々の神々が、1年に1度、
目には見えない「神事(かみごと)」を司られる「大國主大神」さまがいる出雲大社に集い、
人々の“しあわせ”の御縁を結ぶ会議「神議(かみはかり)」がなされる故事に由来します。
それゆえ、古くより出雲地方では旧暦10月は神さまが集う月ですので「神在月(かみありづき)」といいます。
さて
そして
今日から出雲大社では神在祭が行われるのです。
昨日の夕方に海岸で神々をお迎えしてお祭りは始っています。
旧暦なので今は11月になるんですね~
つまり今の10月に大社に行っても出雲に神様はまだ集まっていない・・・ということなのでしょうか?
このお祭りの間の出雲大社の人出はすごいです。
満員電車な感じです。
ぎゅうぎゅうです
でも
出雲は不思議な空気の漂う場所です。
神様会議ちょっとのぞいてみたいですケロ
観光も神在祭にあわせての方が多いのでいつでもどこでも記念撮影が行われています
出雲地方では出雲大社詣りの際に、門前のそば屋で蕎麦を食べるのが庶民の楽しみだったそうです
あ~
だから出雲そばなんですケロね!
三大そばなんだそうです~
どうりで美味しいケロロ
目には見えない「神事(かみごと)」を司られる「大國主大神」さまがいる出雲大社に集い、
人々の“しあわせ”の御縁を結ぶ会議「神議(かみはかり)」がなされる故事に由来します。
それゆえ、古くより出雲地方では旧暦10月は神さまが集う月ですので「神在月(かみありづき)」といいます。
さて
そして
今日から出雲大社では神在祭が行われるのです。
昨日の夕方に海岸で神々をお迎えしてお祭りは始っています。
旧暦なので今は11月になるんですね~
つまり今の10月に大社に行っても出雲に神様はまだ集まっていない・・・ということなのでしょうか?
このお祭りの間の出雲大社の人出はすごいです。
満員電車な感じです。
ぎゅうぎゅうです
でも
出雲は不思議な空気の漂う場所です。
神様会議ちょっとのぞいてみたいですケロ
観光も神在祭にあわせての方が多いのでいつでもどこでも記念撮影が行われています
出雲地方では出雲大社詣りの際に、門前のそば屋で蕎麦を食べるのが庶民の楽しみだったそうです
あ~
だから出雲そばなんですケロね!
三大そばなんだそうです~
どうりで美味しいケロロ
京都 出雲大神宮 [神社・仏閣探索]
月讀宮 新嘗祭 [神社・仏閣探索]
10月19日に月讀宮に立ち寄りました
ちょうど新嘗祭が行われていましたケロ
新嘗祭は神にその年に収穫した新穀を供えて神恩に感謝する祭りですケロ
月讀宮(つきよみのみや)は内宮(皇大神宮)別宮で、三重県伊勢市中村町にある神社です
祭神は月讀尊(つきよみのみこと)。
「つきよみさん」とも呼ばれるが、同じく「つきよみさん」と呼ばれる外宮別宮の月夜見宮の祭神「月夜見尊」は本別宮と同じ神とされていますケロ
宮域には同じく内宮別宮の、月讀尊の魂を祭神とする月讀荒御魂宮(つきよみのあらみたまのみや)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を祭神とする伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)を祭神とする伊佐奈弥宮(いざなみのみや)の3社があります
複数の社殿が並ぶ別宮は月讀宮以外では瀧原宮の2社のみなんですケロ
向かって右(東)から月讀荒御魂宮、月讀宮、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮と並んでいるが、参拝は月讀宮-月讀荒御魂宮-伊佐奈岐宮-伊佐奈弥宮の順が正しいとされています
最高神天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟神の月讀尊が祭神であることから、内宮別宮としては天照大神の魂を祭神とする荒祭宮(あらまつりのみや)に次ぐ順位で、内宮宮域外の別宮としては最高位の別宮でなんです
宮域には上記別宮4社のほかに、内宮末社の葭原神社(あしはらじんじゃ)があります
祭神
別宮
月讀宮:月讀尊(つきよみのみこと)
月讀荒御魂宮:月讀尊荒御魂(つきよみのみことのあらみたま)
伊佐奈岐宮:伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
伊佐奈弥宮:伊弉冉尊(いざなみのみこと)
葭原神社:祭神はいずれも田畑を守護する五穀の神とされる。
佐佐津比古命(ささつひこのみこと)
宇加乃御玉御祖命(うかのみたまのみおやのみこと)
伊加利比売命(いかりひめのみこと)
いつでも月の光の境内は心が洗われるようですケロ
ちょうど新嘗祭が行われていましたケロ
新嘗祭は神にその年に収穫した新穀を供えて神恩に感謝する祭りですケロ
月讀宮(つきよみのみや)は内宮(皇大神宮)別宮で、三重県伊勢市中村町にある神社です
祭神は月讀尊(つきよみのみこと)。
「つきよみさん」とも呼ばれるが、同じく「つきよみさん」と呼ばれる外宮別宮の月夜見宮の祭神「月夜見尊」は本別宮と同じ神とされていますケロ
宮域には同じく内宮別宮の、月讀尊の魂を祭神とする月讀荒御魂宮(つきよみのあらみたまのみや)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を祭神とする伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)を祭神とする伊佐奈弥宮(いざなみのみや)の3社があります
複数の社殿が並ぶ別宮は月讀宮以外では瀧原宮の2社のみなんですケロ
向かって右(東)から月讀荒御魂宮、月讀宮、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮と並んでいるが、参拝は月讀宮-月讀荒御魂宮-伊佐奈岐宮-伊佐奈弥宮の順が正しいとされています
最高神天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟神の月讀尊が祭神であることから、内宮別宮としては天照大神の魂を祭神とする荒祭宮(あらまつりのみや)に次ぐ順位で、内宮宮域外の別宮としては最高位の別宮でなんです
宮域には上記別宮4社のほかに、内宮末社の葭原神社(あしはらじんじゃ)があります
祭神
別宮
月讀宮:月讀尊(つきよみのみこと)
月讀荒御魂宮:月讀尊荒御魂(つきよみのみことのあらみたま)
伊佐奈岐宮:伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
伊佐奈弥宮:伊弉冉尊(いざなみのみこと)
葭原神社:祭神はいずれも田畑を守護する五穀の神とされる。
佐佐津比古命(ささつひこのみこと)
宇加乃御玉御祖命(うかのみたまのみおやのみこと)
伊加利比売命(いかりひめのみこと)
いつでも月の光の境内は心が洗われるようですケロ
熊野本宮大社 [神社・仏閣探索]
熊野本宮大社に来てみましたケロ
本殿に向かう参道ですケロ
現在の本殿には上四社(上記参照)の4柱が祀られていますケロ
中四社と下四社の神は旧社地である大斎原(おおゆのはら)に小さな祠が建てられて祀られていますよ
ここでの写真撮影は事前の許可が必要なんだそうですケロ
なので友人に譲っていただいた写真ですケロ
現在の社地は山の上にありますが1889年(明治22年)の大洪水で流されるまで、社地は熊野川の中州にあったんだそうですケロ
社地は創建以来その中州にあったようです、明治の洪水が起こるまでは社殿が流されることはなかったが、明治以後、山林の伐採が急激に行われたため、山林の保水力が失われ、大規模な洪水を引き起こしたと考えられているんですケロ
現在、旧社地の中州は「大斎原」(おおゆのはら)と呼ばれ、大鳥居が建っています
伝説によると、熊野坐大神は唐の天台山から飛来したとされています
熊野坐大神(家都美御子大神)は、須佐之男命とされるが、その素性は不明ですケロ
太陽の使いとされる八咫烏を神使とすることから太陽神であるという説や、中州に鎮座していたことから水神とする説、または木の神とする説などがありますケロ
諸説ありますが・・・きっと凄く重大なことが起こった場所なんだろうな~ケロロ
本殿に向かう参道ですケロ
現在の本殿には上四社(上記参照)の4柱が祀られていますケロ
中四社と下四社の神は旧社地である大斎原(おおゆのはら)に小さな祠が建てられて祀られていますよ
ここでの写真撮影は事前の許可が必要なんだそうですケロ
なので友人に譲っていただいた写真ですケロ
現在の社地は山の上にありますが1889年(明治22年)の大洪水で流されるまで、社地は熊野川の中州にあったんだそうですケロ
社地は創建以来その中州にあったようです、明治の洪水が起こるまでは社殿が流されることはなかったが、明治以後、山林の伐採が急激に行われたため、山林の保水力が失われ、大規模な洪水を引き起こしたと考えられているんですケロ
現在、旧社地の中州は「大斎原」(おおゆのはら)と呼ばれ、大鳥居が建っています
伝説によると、熊野坐大神は唐の天台山から飛来したとされています
熊野坐大神(家都美御子大神)は、須佐之男命とされるが、その素性は不明ですケロ
太陽の使いとされる八咫烏を神使とすることから太陽神であるという説や、中州に鎮座していたことから水神とする説、または木の神とする説などがありますケロ
諸説ありますが・・・きっと凄く重大なことが起こった場所なんだろうな~ケロロ
熊野那智大社 [神社・仏閣探索]
ふらりと和歌山にやってきましたケロ
ここは・・・那智の滝ですケロ
熊野那智大社ですケロ
熊野那智大社社伝に「神武天皇が熊野灘から那智の海岸“にしきうら”に御上陸されたとき、那智の山に光が輝くのをみて、この大瀧をさぐり当てられ、神としておまつりになり、その御守護のもとは、八咫烏の導きによって無事大和へお入りになった」と記録されていますケロ
命の根源である水が豊富にあふれ落ちる「那智大瀧」を、この熊野に住む原住民の人々も神武天皇御東征以前からすでに神として奉祀されていたとも伝えられています
古代からこの大瀧を「神」としてあがめ、そこに国づくりの神である「大巳貴命」(大国主命)をまつり、また、親神さまである「夫須美神」(伊弉冉尊)をおまつりしていたようです・・・
その社殿を、お瀧からほど近く、しかも見晴しのよい現在の社地にお移ししたのは仁徳天皇五年(三一七年)と伝えられています
この時、大瀧を「別宮飛瀧大神」とし、新しい社殿には「夫須美大神」を中心に、国づくりに御縁の深い十二柱の神々をおまつりしたんだそうですケロ
やがて仏教が伝来し、役小角を始租とする修験道がおこり、古来の神々と仏とを併せてまつる、いわゆる神仏習合の信仰が行なわれるようになりました
青岸渡寺です・・・如意輪観音様がいますケロ
また「クマ」は「カミ」と同じ語で、「神の野」に通じる地名ということだそうですケロ
ここは・・・那智の滝ですケロ
熊野那智大社ですケロ
熊野那智大社社伝に「神武天皇が熊野灘から那智の海岸“にしきうら”に御上陸されたとき、那智の山に光が輝くのをみて、この大瀧をさぐり当てられ、神としておまつりになり、その御守護のもとは、八咫烏の導きによって無事大和へお入りになった」と記録されていますケロ
命の根源である水が豊富にあふれ落ちる「那智大瀧」を、この熊野に住む原住民の人々も神武天皇御東征以前からすでに神として奉祀されていたとも伝えられています
古代からこの大瀧を「神」としてあがめ、そこに国づくりの神である「大巳貴命」(大国主命)をまつり、また、親神さまである「夫須美神」(伊弉冉尊)をおまつりしていたようです・・・
その社殿を、お瀧からほど近く、しかも見晴しのよい現在の社地にお移ししたのは仁徳天皇五年(三一七年)と伝えられています
この時、大瀧を「別宮飛瀧大神」とし、新しい社殿には「夫須美大神」を中心に、国づくりに御縁の深い十二柱の神々をおまつりしたんだそうですケロ
やがて仏教が伝来し、役小角を始租とする修験道がおこり、古来の神々と仏とを併せてまつる、いわゆる神仏習合の信仰が行なわれるようになりました
青岸渡寺です・・・如意輪観音様がいますケロ
また「クマ」は「カミ」と同じ語で、「神の野」に通じる地名ということだそうですケロ
瓜割の滝 天徳寺 [神社・仏閣探索]
若狭町の天徳寺に行ってきましたケロ
高野山真言宗のお寺で泰澄大師の開基と伝えられています。平安時代に村上天皇の勅願寺となり、その時の年号天徳が名付の由来と言われています
境内奥にある「瓜割の滝」は、山あいの岩間から湧き出る清泉で、一年を通して水温が変わらず、夏でも水につけておいた瓜が割れるほど冷たい事から、その名前がつけられたんですケロ
瓜割の滝から湧き出る瓜割の水は、幾重もの地層が自然のフィルターとなり、長い歳月をかけてろ過した純度の高いミネラル成分が溶け込んだ水となっており 保存可能期間についても、名水百選の中でトップクラスにランクされます。
なんともやわらかなお水ですケロ
滝周辺は元々「水の森」と呼ばれる修験者の修行地で、また朝廷の雨乞いを司る祈祷所だったとされています
石仏四国八十八ヶ所です、その昔弘法大師が四国八十八ヶ所を模した霊場を開くために、佐渡の石工に八十八体もの石仏を刻ませたと伝えられていますケロ
空海さんや安倍晴明さんも大事にしていた所なんですケロ
高野山真言宗のお寺で泰澄大師の開基と伝えられています。平安時代に村上天皇の勅願寺となり、その時の年号天徳が名付の由来と言われています
境内奥にある「瓜割の滝」は、山あいの岩間から湧き出る清泉で、一年を通して水温が変わらず、夏でも水につけておいた瓜が割れるほど冷たい事から、その名前がつけられたんですケロ
瓜割の滝から湧き出る瓜割の水は、幾重もの地層が自然のフィルターとなり、長い歳月をかけてろ過した純度の高いミネラル成分が溶け込んだ水となっており 保存可能期間についても、名水百選の中でトップクラスにランクされます。
なんともやわらかなお水ですケロ
滝周辺は元々「水の森」と呼ばれる修験者の修行地で、また朝廷の雨乞いを司る祈祷所だったとされています
石仏四国八十八ヶ所です、その昔弘法大師が四国八十八ヶ所を模した霊場を開くために、佐渡の石工に八十八体もの石仏を刻ませたと伝えられていますケロ
空海さんや安倍晴明さんも大事にしていた所なんですケロ